勇敢な戦士

「最近、暗いニュースが多すぎてしんどくなります。

特に幼児虐待のニュースとか見ると本当に心が痛くて」


先日プライベートヨガに来て下さった

心の優しいAさんが悲しそうに言われました。

本当に新聞やテレビには常に

幼児の虐待死や耳や目を塞ぎたくなるニュースで

溢れかえっています。

現実に起きたことは情報として

ちゃんと把握しておくことは大事なことです。

しかし、その情報を見て


「かわいそう」→同情

「なんてひどいの!」→怒り

「ひどい」→悲しみ


などの感情がでてきても

亡くなった可愛い子どもたちが戻ってくるわけでもなく

ただただ、そう感じてしまう人の身体が

負の感情で蝕まれていくだけなんですよね。


かといって

元気に振る舞って

見てみぬふりするのも

何か違う。


私は基本的にそういうニュースが

目に入ったら深くは読み込まないことに

していますが

亡くなられた子ども達に関しては

「かわいそう」

ではなく

「ありがとう」

と想う事にしています。


だってもし私が亡くなった

子どもの立場だったら

自分の人生を

「かわいそう」

と思って欲しくないから。


産まれてきた時は

きっと誰かに

喜んでもらえたはずだから。


何かしら意味があって

そういう親のところを選んで産まれてきた

勇敢な戦士たち。

虐待されていても

子ども達は最後まで親の事を

きっと愛して 愛して 愛した

美しい戦士であり

天使だったに違いない。


もしかしたら

その子の「死」が

子どもを人として扱っていない

気の毒な大人に

何かを気づかせてくれているかもしれない。

そういう大人は愛を知らない。

そんな大人にこそ

かわいそう

という言葉を使いたい。


病気になっても

がん検診を皆にすすめて

天国に旅立っていった小林麻央さんにように

大事なメッセージを身体をはって

伝えてくれた勇敢な戦士。


希望はある。

悲しみだけじゃない。

早めに旅立ったその子どもたちの役割に

「ありがとう おつかれさま」

と伝えたい。


子どもはみんなが天使。

愛のある人間になるには

愛という肥料が必要。

例え

勉強が嫌いでも

スポーツが苦手でも

ただそこにいるだけで

素晴らしい存在。

子どもは皆、

大人になると少しずつ

忘れてしまうことを教えてくれる

メッセンジャー。

全ての子ども達に

無条件の愛と

沢山のハグを♡


そう熱く語る私にAさんは

優しい涙を流しながら

にっこり微笑まれました。

Aさんのように大人になっても優しい気持ちを持ち続けた

美しい戦士たちは

時々、優しすぎて

自分を一番傷つけてしまうこともあります。

「私にはなんの力にもなれない」

という気持ちを

「ありがとう」

に変換させて

今日も過ごせますように。

RICA

















ARICA  YOGA

湖のほとりでヨーガと マインドフルネス(瞑想)の レッスンをしています。 日程やエッセイを更新中。